東京で撮り続けて見えてきたもの | Photograph days  

東京で撮り続けて見えてきたもの

/Posted:2019.04.18

以前は房総まで行ったり、中央本線で山梨へ行ったりと遠方に行って撮影していました。しかし、ここ数年は遠方に撮影に出向くことはなく、世田谷、三鷹、調布、杉並、新宿など自宅から遠くないところでちょろっとお散歩撮影が主です。

理由の一つは子供が生まれて、育児・家事・仕事が優先になり遠方にでかける時間がなかなかとれなくなったこと。もうひとつは体調が優れず以前のように長時間の移動や撮影がつらくなったことです。望んで撮影したのではなく、自分を取り巻く状況の変化が東京で撮影させるように仕向けたんです。

東京で写真を撮ろうとするとなかなか難しかった。なにせ以前はフォトジェニックな広い空間、ちょっと廃れた漁港や山の中の家など撮影する動機になるものにあふれていました。一方東京は(もちろん地域によって差はありますが)都会的なものにあふれ、空間は狭く、簡単に被写体と出会えるものではなかったのです。いや、実際には被写体がないわけではなく、僕自身の腕(いや、眼)がまだまだだっただけだと最近になってわかり始めました。

都会的なものだろうとなんだろうと、そこに自分が反応する要素さえ見いだせれば写真は撮れる。どこだろうと、なんだろうといいんです。自分の眼が自然と視たいものを見出すものだったんです。それには訓練が必要だし、時間とともに、そして成長とともに変わるものです。

僕は自分が撮りたい写真がだんだんと見えてきました。それは言葉ではうまく説明できません。説明してしまえるものなら写真として成立しなくなるのでそれは問題ありません。

でも、写真のそばに言葉を添えることはできそうです。何かしら添えるとすれば、「均衡」「距離」「交叉」、このあたりの言葉のような気がします。僕は空間の中にそういったようなものを見つけて、あるいは写真を撮ることで生み出しているような気がします。

もうしばらくこのままこの状況にまかせて、東京を撮り続けて行こうと思います。

 

 

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