写真はアスペクト(画面の縦横比率)で印象が変わる

/Posted:2017.02.16

以前写真はフォーマットで変わるということを教わったことがあります。大きいフォーマットの方が緻密でリアリティーあるいは具体性のある表現に向いている、小さいフォーマットのほうが抽象的な表現に向いているということでした。

写真は真実を写さない。ある事物が放つ光を捉えた画である

/Posted:2017.02.06

最近は機材のことばかりで”写真”を記事にすることが減ってました。たまには写真をのことについて書いてみようと思います。

日々、写真は撮っています。並行して作品として発表することを念頭に写真についてあれやこれや考えるということをしています。 単に考えるだけでなく、試行錯誤しながら写真を撮ってみたり、写真に関する本や芸術に関する本を読み漁っている状況です。

写真集:「 西蔵(チベット)より肖像 」(有元伸也 )

/Posted:2016.03.08

先日調布パルコに行ったら催事場で古本市をやっていた。ぶらーっと見ていたところ、一冊の写真集が目に止まる。それが有元伸也の 「西蔵(チベット)より肖像」だった。


 

カメラを変えると写真が変わる

/Posted:2015.07.06


Me. / benjaflynn

この言葉、よく聞く。

週末新しいカメラを買った。
別にカメラが欲しかったのではなくて、レンズがお目当てだったのだが、カメラが付いてきてしまった。

狙いはライカ マクロエルマリート R  60mm f2.8。
非常にシャープで有名なレンズだ。以前から欲しかった。
マクロに使ってもよし、標準レンズとして使ってもよし。ポートレートにもよし。最高の万能レンズである。

表現としての写真

/Posted:2015.06.17

写真の最初の発展は、絵画の代わりだった。肖像画である。

肖像画は遡れば王侯貴族にしか許されない贅沢の極みであったが、職業画家の増加や商人の台頭に連れ、徐々に特権階級のものから離れていく。

そして、写真が登場することで、肖像写真が生まれ、一般化、大衆化していく。

このような背景から写真は絵画の代わりとしての宿命を持たないわけに行かなかった。

また、当然二次元の画像という点においても絵画を模倣するということは自然な流れだったのだろう。

では、写真の写真らしさ、写真だからこそ可能な表現とは何なのか。
そんなことを考えた人々がいた。ロランバルトやスーザンソンタグが有名だ。

彼らは写真とは何かを考え、その存在を問い続けていた。

そして、写真家たちもたんなる絵画の延長たる「実用写真」からの脱却をめざした。

くわしくは、様々な書籍を読んでいただくとして、ひとつの写真的表現としてストレートフォトグラフィーについて少し説明したい。

写真はその特性から、ある時、ある場所で、ある人が選択した記録である。
撮影者は何かに反応し、それを捉えたいと考えた。その結果が写真というメディアとして生成される。

言い換えれば、写真というメディアはある撮影者が現実の世界に目を投じた時に一体何に反応し、何を感じたかを投影するものである。

そのような写真を組んでいくことで、その撮影者の撮影者としての眼、感覚、そういったもの、世界観が現れてくる。その世界観を鑑賞者が追体験するものである。

撮影者が一般的な美意識や感覚と離れ、独自の視点を持っていればいるほど、写真にはその独自の世界が現れてくる。

表現というものは誰かに迎合するものではなく、自分独自の思想、世界を何らかの形にし、世に問う行為である。

写真が表現として成立するひとつの方向性がストレートフォトグラフィーの考え方と言って良いだろう。

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